2005年03月08日

甲子園初出場

【野球留学〜羽黒高校甲子園初出場物語 第1章】第1回

2003年7月29日、宿敵酒田南高校を7対2で破り、甲子園初出場が決まった。
翌日、友達やこれまで応援してくれた人たちに、次のようなメールを送った。

 小学校3年で少年野球チームに入り、
 浪人時代の1年間を除いて毎日野球をやってきました。
 甲子園にあこがれ、32年間ただひたすらに野球をやってきました。
 あきらめずに続けてきたこと、
 そして、やり遂げることができたことに感動しています。
 開会式の入場行進はおそらく涙が止まらないでしょう。
 長い戦いが終わりました。

1962年7月17日生まれ、もう41歳になった。
私たちの子供時代は、野球一色だった。
巨人のV9、長嶋、王。少年野球チームの背番号は1と3ばかりだ。

王の756号には興奮した。
鈴木康二郎投手から打ったあのホームランは忘れない。
野球少年はみな1本足打法の練習をした。

長嶋の引退試合には感動した。
テレビの前でカセットテープを回しながら、涙した。
「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、
巨人軍ならびに長嶋茂雄のために・・・」今でもそらで言える。

そして、「巨人の星」だ。
私をここまで野球に執着させたのは、
星飛雄馬もしくは梶原一騎かも知れない。
「巨人の星」は1968年4月から1971年9月まで3年半の間、
毎週1回テレビ放映された。
私たちの世代はまさに「巨人の星」世代といわれ、
飛雄馬と同じように甲子園を目指し、巨人の星を目指した。

だから、私の価値観のど真ん中に野球があるのだ。
甲子園で優勝した同級生愛甲猛(横浜高校)の輝きや、
小学生のとき川崎球場で見たV9戦士の雄姿に比べたら、
勉強して東大に入ることや医者や弁護士になることなど
ほんとに小さなことでしかなかった。

野球部でレギュラーになれそうもないやつがサッカーやバレーをやり、
スポーツで活躍することをあきらめたやつが一生懸命勉強をやっていた。
野球がうまいことが、人生の勝者のように感じていた。

だから、ここまでやってきた。勝つまではやめられない。
甲子園にいくための執念があった。
自分のスタイルを貫くため、衝突することも少なくなかったが、
誰に批判されようと自分の信念に基いて戦ってきた。



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