2005年11月16日

初めて羽黒に行った日 4

【野球留学〜羽黒高校甲子園初出場物語 第1章】第11回

当時の仕事、つまり学習塾とスポーツクラブの経営との掛け持ちも許可してもらった。
最初の2年間は神奈川から山形に通って仕事をしていた。
月曜日は必ず神奈川にいて、「湘南クラブ」の仕事を続けてきた。

実は、先の「いなほ」に乗ったのは、その後数えるほどしかない。
ほとんど飛行機を利用した。
羽田〜庄内間は60分、庄内空港から学校まで25分、
つまり、朝7:30分の羽田発に乗れば9:00には学校で仕事をしていたのである。
年間100回以上この飛行機を使ったのである。

こういった費用の問題にしても、一つ一つ文書化し、契約書に明記した。
待遇も含めて労働条件が契約の決め手となった。
私の生活に掛かる費用はすべて学校側が負担することになった。
野球部に関わる費用も数百万の単位で自由に使うことができた。
甲子園に出場した年の収入は高校野球の監督としては破格であっただろう。
おかげで、藤沢にレストランを1軒持つことができた。

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